塚本晋也 :ヴィタール

死んだ恋人を解剖する事になる記憶喪失の医大生のおはなし
若かりし時分は怒涛のスピード感を全面に打ち出した塚本晋也だが
この作品ではスピードではなく、解剖、物として細かく切り刻むというやり方で意味に挑戦する
主人公を記憶喪失にすることで、物理的に意味を掘り下げることのみならず、時間的なアプローチも加わっている
解剖に取り組む過程で記憶を取り戻しつつある主人公(浅野忠信)が、子供のように怯えて混乱しながら父親に向って話すシーン
「今という時間がわからないな…」
続けて、自分は未来の壊れかけたロボットが狂った電流の流れによって見ている夢なのではないか、とそれこそ子供の妄想じみた言葉を吐く
例えば1時間という時間の長さで自分がどんなことを考えていたかというのは、ぼんやりとだがわかる
ある1分間に、自分が何を感じ、思ったかもわかるだろう
では1秒、0.1秒ではどうか?
思考や自我は流れのようなもので、短い瞬間に区切ると確かに存在するとは言えない
こうい自我がここにあると感じることは出来ない
普通の人間は過去の記憶に立脚する、物心ついた頃から連綿と流れてきた自我の流れがあるので、そういった事を考えずに済む
だから時間的にも物理的にも意味を深く掘り下げていくこの映画では主人公が記憶喪失である必要があったのだろう(シンプルに、自我がなくなる事から死ぬ事までの間で、どんな違いがあるか探りたかったというのもあると思うが…限定盤のディスクを見ると「ヴィタール」という確定タイトルの前が「エランヴィタール」=「生命の跳躍」というタイトルだったそうで、当初はその辺のあっちの世界とこっちの世界を主人公にバンバン行き来させるデンジャラスな映画にするつもりだったのだろうとも思ったりした…)
映画は、一瞬だけ見ることの出来る人類最後の記憶というカットで終わる
ちょっと芝居がかった大仰な印象を受ける人も居るかと思うけれど、切り刻んでいくこと、拡大して注意深く観察する事を主人公と一緒に体験した人には
それが決してハッタリやカッコつけではない、深く綿密に練られたラストシーンである事がわかるだろう
感動的な映画だ
上の文章を見るととんでもなくグロテスクなスプラッタームービーだと思われそうだけど
そんなことはない、爽やか且つ感動的な映画
どうやったらそんな設定で爽やかになるんだよ、と言われそうだが、それだけ見事にウルトラCに成功したということだろう
完成度は前作の「六月の蛇」の方が高いのではないか、とも思うが、そこから一歩前進したという手ごたえが確かにある
それが嬉しい


実は自分が映像の会社を辞めた後、次も映像の世界で勝負するかどうか、このヴィタールのスタッフ募集に申し込むことで決めた
結果、落ちて今のように独立して店を借りたり軽トラ買ったりしている
DVD化されてはじめて作品に触れたのは、そんな経緯で映画館に足を運ぶのがためらわれたからではないかと思う
今こうやって見てみると、なんというか非常に良かったな、というか、元気が出た気がする
自分もひとつ頑張りますか、といった感じで…
こんなような特別な思い入れがなくてもオススメできる映画だと思う、塚本晋也の入り口的にはこれか「六月の蛇」が良いのではなかろうか?
とにかくメチャメチャに激しいヤツを!という人は昔の作品もいいけれど、決定的に好き嫌いが分かれるからなぁ…
Coccoが好きな人は迷わず限定盤を選ぶとビデオクリップが見られて良い
同じく限定盤の監督のインタビューは、90年代に流行した布施英利的な内容
こういう映画に辿りついてるって事は、一歩進んでもっとヤバイ事も考えていた筈なのだが…
わりとあたりさわり無く、淡々と語っておられたかな…
まぁヤバイ内容は次回作のお楽しみって事でしょう


こういう事を書くと不遜に思えて気が引けるのだが、もうちょうっとで、こんな長文理屈で語ることの出来る良さを超えてしまえそうな期待が持てるというか
デビュー作の「鉄男」が、まず感覚的にぶっ飛ばしてくれて、後から色々見聞きするとあぁそういう理屈で構成した部分もあったのかと思う映画だったが、その、ぐるっと螺旋階段をのぼったちょうど数段階上のような
もう何て言ったらいいのかわからない、もうとにかく圧倒的に遠くに飛びました!みたいな映画を撮れるんじゃないか、そんな気がするんだ