早起きは三文の

5時台に起きたので録画しておいたゲド戦記を観た。


自分のまわりでも、素人の監督だの何だのとボロクソに言われていた記憶があり
なんとなく興味本位というか不純な動機で鑑賞してしまった感じもする。


タイトル前の、王様が会議をしているところから刺されるところまで、
途中龍のレリーフみたいなモンが出てきたり下女から報告を受けたりするのだが
その辺の一連の流れがすごく真面目にしっかり繋いである印象。
街中でゲロを吐く場面の直後に、噴水の口から水がザーっと水が出ているカットだったり・・・
声も極力抑えていたり、
主題歌を谷山浩子がつくっていたり、
全く個人的な見方だが、誠実そうな人柄がでていると思う。
こんなつくりをする人に父殺しなんてスキャンダラスな押しで一本つくらせたのか
と思うと何だかいたたまれなくなって、途中からギターを抱えてジミヘンのパープルヘイズを練習しつつ見る。


原作も本来はビッシリ説明が必要そうな長いファンタジーもので
小説の熱心なファンも多い中で、オヤジをこれだけ意識させるテーマで撮らなきゃいけないとか
映画自体は長いようでいて人物の関係を育てる充分な時間がなかったり
もう、公開したタイミングとか色々と不幸が重なってしまったように思う。


ちょっと前にBSで押井守の特集をしていた時に思ったのだが
映像は綺麗に繋ぐ作法だとかルールみたいなものがあって
それが踏襲できていないと、繋がってないとか、成立してないとか言われがちだけれど
今はもう、そんなものガン無視でOKという時代だと思う。
プロが無茶するのと、素人が上手くあろうとするのを比べたときに
プロが無茶した方が当然おもしろい。
だけど、本当に問題なのは素人が無茶をした時にどうなるか、ということで
映像ではなくて、たとえば音楽を見たほうがそのあたりが掴めるように思う。


自分が会社に入った時もそうだったんだが、
職人肌の人間が沢山いるところにぱっと入っていくというのは精神的に結構ハードなものがあって
なぜかそういう記憶がよみがえり、口のなかが酸っぱくなるような思いで最後まで見た。
観終わった頃にはジミヘン風のチョーキングがちょっと上手くなった気がする。